積小為大2
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⑤ 金次郎の足跡 二宮金次郎の足跡 天明 3(1783)年 浅間山大噴火。天明の飢饉始まる 天明 7(1787)年 現在の小田原(神奈川県)に誕生(1歳) 寛政12(1800)年 父が没する(14歳) 享和 2(1802)年 母が没する。一家離散(16歳) 文化 3(1806)年 生家再興に着手(20歳) 文政 元(1818)年 小田原藩家老、服部家の財政立て直しを開始(32歳) 文政 5(1822)年 桜町領(栃木県)復興を命ぜられる(36歳) 天保 4(1833)年 凶作を予知して対策を講ずる。           天保の飢饉始まる(47歳) 天保 6(1835)年 茂木藩(谷田部藩・栃木県)の財政再建開始(49歳) 天保 7(1836)年 烏山領(栃木県)の救済(50歳) 天保 8(1837)年 小田原領の飢民救済(51歳) 天保 9(1838)年 小田原領・下館領(■城県)の復興事業に着手(52歳) 天保13(1842)年 幕府に登用される(56歳) 弘化 2(1845)年 相馬藩(福島県)の農村復興事業が始まる(59歳) 嘉永 6(1853)年 日光領復興事業受命(67歳) 安政 3(1856)年 現・日光市今市にて没(70歳)・少年期の捨苗栽培により「積小為大」に目覚める。            ↓ ・桜町領再生で世の注目浴びる。15年かけた報徳仕法の基礎            ↓ ・報徳思想の浸透が決め手(対象600村以上にのぼる)            ↓ ・幕臣に登用され「尊徳」と名乗る。  時代を超えた普遍性を持つ経営論のひな形完成            ↓ ・日光神領で総仕上げ。SDGsに通じる方法論も。            ↓ ・人々の暮らしの安定と永続を求めた。  1865年70才で人生の幕を下ろした。  その墓は学問と経営の神様としてあがめられている  今市報徳二宮神社の境内にある。(1897年創建)            ↓ 明治以降の大企業の経営者たちに多大な影響を与えた。 終えんの地に二宮尊徳記念館が 建てられた(2017年)9

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