積小為大 私のインテリア自分史  【創立30周年記念】 
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「私のインテリア自分史」刊行によせて インテリアコーディネーター(以下IC)の資格制度ができて4,5年経った1988年、湯沢さんはこれからはICが活躍する時代と考えたようです。栃木県にインテリアコーディネーターの会を作ろうと有資格者に声をかけ、私を含め4,5名が集まりました。その当時の湯沢さんはまだ、会社員でしたが、間もなく独立しインテリア関連の会社を興す予定とのことでした。 ここから、6名で栃木県内のインテリアの啓蒙活動を目標に活動をスタートするのですが、1年で頓挫してしまいました。 しかしながら、ここから、湯沢さんのこだわりの地域貢献、業界貢献のひとかたならぬ熱い思いが威力を発揮します。 私は、すでに会としての活動を諦めかけていたのですが、湯沢さんは全く諦めていませんでした。結局、湯沢さんと2年がかりで、ICの会を発足させることができ、湯沢さんが会長、私は副会長として、インテリアの啓蒙活動に邁進していきます。  会の名前もないまま、ICの会を発足させたので、まず、会の名称を決めなければなりません。発足当時の会の名前は、『フェリーチェ・ICクラブ』。実は、発案者は湯沢さんで、フェリーチェとはイタリア語で幸せ、幸福という意味です。当時はとてもおしゃれな名前なので、会の紹介をする度に必ず意味も聞かれました。現在は地名を入れた栃木IC協会とお堅い名前になってしまったのですが、私は、今でもフェリーチェICクラブの会員と思っています。 数年後、湯沢さんは会長は男性よりも女性のほうがソフトでよいのではないか、ということで私に会長の座を譲り、ご自身は事務局長として裏方に回りました。とはいうものの、ほぼ最前線でのご活躍ですが・・・結局、この体制のまま25年が経ち、現在に至ります。 発足後、バブル崩壊、リーマンショック等々インテリア業界にとっても逆風が吹いたこともあり、任意の団体としては、活動を継続させるには会員の協力が必須でした。事務局長として湯沢さんが、会員一人ひとりに気を配り、采配を振っていただいたおかげで栃木IC協会は安定した活動ができるまでになりました。 これからは当協会も湯沢さんのもう一つのこだわりの業界トップを意識した活動ができるようますますのご指導、ご鞭撻を賜りたいと思います。 栃木インテリアコーディネーター協会 会長 河内 英美子 2020年8月吉日 【】6

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