積小為大2
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高円宮がお就きになっていた16団体の名誉職については、各団体からの強い要望を受けて、後に久子妃殿下がすべて継承されている。 学習院高等科時代に陸上ホッケー部で活躍した高円宮は、平成元年(1989)9月6日、社団法人「日本ホッケー協会」の名誉総裁に就任された。高円宮のスポーツ人生の原点は、ホッケーである。社会人になると再びホッケーを始め、後の自分のチームまで作られている。まさに「ホッケーの宮さま」である。 日本のホッケーの始まりは、明治39年(1906)11月、英国人牧師ウィリアム・T・グレーが慶応義塾のホッケー倶楽部を指導した日とされている。 インターハイには学習院大学ホッケー部の飛田孝も同行した。飛田は学習院大を卒業後、日本道路公団に入っていた。監督に迎えられ、関東大学ホッケーリーグの3部まで落ちた学習院をあっという間に1部に引き上げた功労者である。 高円宮が率いる6人制ホッケーチーム「EL ACEBO(エル・アセボ)」、アセボはスペイン語で柊、エルは冠詞だ。お印の「柊」に由来する名前である。メンバー12人は学習院ホッケー部OBで、飛田、竹口も入っている。もっとも、最初の名前は「ヤチマタムラ」だった。飛田の古里の因む名前である。 (以上伝記より抜粋) 出 典 高円宮憲仁親王 平成17年(2005)6月25日 初版発行 編 集 高円宮殿下伝記刊行委員会 発行者 渡邉恒雄 発行所 読売新聞社 発売元 中央公論新社41【ホッケーこぼれ話】 故高円宮憲仁殿下とエル・アセボチームについて −高円宮殿下はスポーツ団体の名誉総裁としてー

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